私とコルンゴルト

 私がコルンゴルトを知ったのは、高校生の頃、別の曲が目的で買ったハイフェッツの海賊ライヴ盤のB面に、偶然、全く知らない作曲家の曲が入っていた。これが、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲(コルンゴルトの最高傑作、ハイフェッツが世界初演)だった。一度聴いただけで魅せられてしまい、超絶技巧はもちろん、溢れんばかりのロマンティックな歌心に加え、陽気なウィットを持った、まさに自分のために書かれた曲のように感じて、すぐに楽譜を取り寄せ、当時習っていた先生にピアノ譜と録音テープを添えて、「教えてください」と頼んだのだが、「知らない曲は教えられない」と、断られてしまい、楽譜はお蔵入りになった。

 時は流れ、桐朋のディプロマに入り、師事した江藤先生に、恐る恐る「コルンゴルトの協奏曲を弾きたい」、と言ったところ、先生はニヤリと笑い、「珍しい曲知ってるじゃん!」。話によると、先生は、ハイフェッツの生でこの曲を聴き、感動して楽譜を入手しマスターしたが、一度も依頼されず、舞台で弾いたことが無かった。それに、教え始めてからも、誰一人として教えていない。「君が最初だよ」との事。先生は、嬉しそうに乗りまくって教えてくれた。また、奇しくも、コルンゴルトを教わっている時にハイフェッツが他界し、先生と一対一でハイフェッツ談義をしたという、忘れ難い思い出も出来た。

 その後、桐朋ディプロマの年次試験で弾いたのだが、評価が真っ二つに割れてしまい、成績が悪かった。調べたところ、ヴァイオリンの先生たちは皆よい点数を付けており、ヴァイオリンを知らない偉い先生方が、酷く悪い点数を付けていた。これは後々まで尾を引き、出世のチャンスを失った。 マイナーな作曲家のパイオニアになった事は、曲がどんなに優れていても、当時自分になんら益する事無く、自分は「桐朋のはずれ者」になり、みんなから「変人」扱いされた。なにせ、みんながチャイコフスキー、ベートーヴェン、ブラームス、バルトークなどを練習していた頃、先生たちも知らないコルンゴルトなどという曲を弾いていたのだから。

 江藤先生だけが理解者で、先生は激怒し、「バカな連中が変な点数を付けやがって!」、「映画音楽を書いたからといって差別するのは許せない!」などと言われ、「これは絶対にいい曲だから、君が日本初演しなさい!」、と言ってくださった(江藤先生は、現在は桐朋の学長であり、その他、音楽理論の重鎮だったS氏の失脚などを鑑みると、今なら、このような不可解な成績が出ることは有りえないと考えられる)。

 私にも意地があるので、その後渡欧し、ハイフェッツの弟子であるアモイヤル、パターソン両先生に、ハイフェッツ直伝の奏法を教わり、磨きをかけた。

 そして、1989年2月、オーケストラと共演するチャンスを得て、私は躊躇無くコルンゴルトを選んだ。この曲は、ソロも至難だが、オケも大変な曲。リハーサルは30分ほど(ほとんど一回通すだけ)が二回。何度もオケが空中分解し、終楽章では、弾くうちにテンポが遅くなり閉口した。ゲネプロでもオケが崩壊し、本番が心配だったが、舞台に出る直前、指揮の金(キム)さん(彼は真の実力者)に、「終楽章は、自分のテンポで弾かせていただきます。よろしくお願いします。」と言って、本番に臨んだ。本番、特に終楽章では、金さんの指揮に全てを託し、オケを無視して飛ばしまくった。

 オケは重かったが、金さんの渾身の指揮もあり、何とか付いて来てくれて、無事に弾き終えることが出来た。演奏後は、舞台上で感極まってガッツポーズをしてしまった。正直に言うと、終楽章はもっと速いテンポで弾きたかった。当時は本気で、ハイフェッツを超える演奏を目標にして練習した(若かったな..)。結果はお聴きのとおり、我が神であるハイフェッツを超えていないのは当然としても、足元にも及んでいない。自分の才能不足が身に染みた。でも、とにかくこれで日本初演達成。日本初演は「先にやったもの勝ち」。私の音楽人生で、最もエポックメイキングで、興奮感動した出来事だった。

 今は、コルンゴルトも名誉回復して有名になり、彼の作品がコンサートで取り上げられることも多い。今思うのは、「自分の先見の明を思い知ったか!」という事。

 今、自分の演奏を聴くと、基本的な凡ミスなどもあり、恥ずかしい部分もある。また、アーティキュレーションなどでも新しいアイデアが有り、もう一度弾きたいと思っている。しかし、日本初演をした時は、自分の技術がピークの時期だった。今再び弾いたとしても、日本初演を超える演奏が出来るかどうかはわからない。しかし、チャレンジ精神だけは持ち続けたいと思っている。

 先駆者としての苦労を嫌というほど味わい、今も仕事で尾を引いている。自分がコルンゴルトに係わったことで人生が変わってしまった。しかし、微塵たりとも悔いている事は無い。良いものは良いのだから。日本初演の録音を残しておいた事が幸運で、私の演奏が高い評価を受け、今、辛うじて楽壇で生き残っている。現在のコルンゴルト・ルネッサンスを想うと、自分が弾いていた頃とは隔世の感があり、苦労が報われたと感じている。これからも、コルンゴルトが正当に評価され、彼の作品が演奏され続けることを願っている。

 日本でも、1997年の生誕100年をピークにコルンゴルト・ルネッサンスが続いており、早崎隆志氏による伝記の出版など、画期的な快挙も有った。しかし、このコルンゴルト・ルネッサンスも、所詮は欧米主導だった。自分としては日本初演に不満な点が有り、もう一度弾きたいという夢を持っているが、現実は厳しい。コルンゴルトの最高傑作を日本初演した事は、自分の人生を左右する業績だと思っている。後は、大きな流れの中に身をゆだねようと思う。

 後に知ったが、私が初めて聴いたライヴ録音は、超人ハイフェッツが世界初演後、ニューヨークで演奏したもの(バックはエフレム・クルツ指揮ニューヨーク・フィル)だった。特筆すべきは、終楽章の、後のスタジオ録音を超える、完璧なテクニックによる物凄いハイスピードと、それでも、かけらたりともおろそかにしない音楽性、感性などが絶妙にバランスしていることで、常人には絶対に真似できない表現に圧倒された。

 ハイフェッツによるこの曲のスタジオ録音(バックはアルフレッド・ウォーレンシュタイン指揮ロスアンジェルス・フィル)は、現在もCDで入手できるが、残念なことに擬似ステレオ化されており、演奏の真価が伝わりにくいオフマイク的な音場になっている。オリジナル・モノラルのLP(アメリカRCA盤、カップリングはラロの「スペイン交響曲」)は、ソロがオンマイクで、オーケストラは背景で十分な迫力を持って響く、優れたモノラル録音だったと思う。オリジナルのジャケットとカップリングを復活させたCDも出たが、音はやはり擬似ステレオだった。RCAには、オリジナルのモノラルマスターテープによるCD化を強く要望したい。私は最初にCDの音を聴いた時、「これは別テイクの演奏ではないか!?」と思った。何度か聴いて、同じ演奏であることがわかった。いずれにしても、コルンゴルトの世界に入るには、まずこれを聴いてほしい。

 今日、久しぶりに、コルンゴルトが書いた映画音楽の代表作の一つ、「嵐の青春(Kings Row)」オリジナル・スコアのCD(チャールズ・ゲルハルト指揮ナショナル・フィル Varèse Sarabande VCD 47203 デジタル録音で素晴らしい音質)を聴いた。後の「スター・ウォーズ」につながる壮大な冒頭から、他の誰とも違う、個性的で完璧無類なオーケストレーションで繰り広げられる、圧倒的スケールのシンフォニック・スペクタクル。派手だが、ウィーン仕込みの優雅でエレガントな歌心を決して失わない。涙が出るほど感動し、48分があっという間に過ぎた。


リンク

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト [相互リンク]

 コルンゴルト研究、映画音楽のエキスパートであり、「コルンゴルトとその時代」の著者でもある早崎隆志さんによる、映画音楽が中心のコルンゴルト解説。

コルンゴルトとその弦楽六重奏曲

 アンサンブル花火のヴァイオリン奏者、高橋広さんによる、濃い口のコルンゴルト解説。

早崎隆志氏による演奏評

 早崎氏が寄せてくださった、私の日本初演に対する演奏評。


2004年1月18日

© Hidehiro Tokitsu

E-mail: maestro@korngold.jp

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