伝説のジョアン・ジルベルト2003年初来日公演について

時津英裕



2015年6月13日に Facebook に書いた記事ですが、これは保存しておいた方が良いと思い、こちらにまとめさせていただきました。

ジョアン・ジルベルトの2003年初来日公演について話を整理

さすがに古い記憶なので、私の記憶も風化しているようなので検索をかけたところ、やはりこの来日は、今でも「伝説」らしく、多くのページがヒットしましたので簡単に整理させていただきます。

最も異様だったのが初日。とにかく変人でドタキャン常習犯のジョアンが本当にステージに現れるのか。ギターを持ってステージに出る直前に、「私は今日の客は嫌いだ」と言って帰ったという話も有るので、本当にステージに現れるまでは安心できない。聴衆が固唾をのんで待っている中、客席では突然起こる拍手、「ジョア~ン!」と叫ぶ人、ポルトガル語で何かを叫ぶ人などが続出。こんなに異様な雰囲気は、後にも先にもこの時だけの経験でした。そして一時間十分遅れでジョアンがステージに現れ、場内が総立ちの拍手になり、既に大歓声のアンコール状態でした。そして止めが日本語の「コンバンワ」。もう気絶しそうになりましたね。この挨拶はライヴCDにも収録されています。

二日目以降もジョアンは遅刻し、開演時間を過ぎているのに場内アナウンス、「アーティストはまだ会場に到着しておりません」、その後再び場内アナウンス、「やっと到着したか!」と思ったのだが、アナウンスは、「アーティストは只今ホテルを出発しました」これにはさすがに場内で爆笑が起こった。このパターンは、その後のコンサートでも続いた。

横浜での「フリーズ」の真相だが、ギターを抱えてうつむいて20分以上固まってしまったわけだが、前の方で見ていた人によると、ジョアンは泣いていたらしい。そして後に分かったのだが、ジョアンは聴衆の一人一人に日本語で「アリガトウ」と言っていたらしい。これも前の方で聴いていた人には一部聴こえたらしい。そして、僕の記憶では、フリーズの後は「ボンファに捧ぐ」でラストは「ブラジル」だったと記憶しているのだが、一説ではフリーズ後は「フェリシタージ」でラストは「イパネマの娘」だったという説も有り、僕は翌日の最終日にロビーで客と話し、フリーズの話と、昨日は「ボンファに捧ぐ」が有った事と、「昨日のラストはブラジルでした」と言って、話し相手の方が、「え!本当ですか?」とびっくりされていた事をはっきりと記憶しているので、この辺の真相は不明である。この日の最初はマイクの位置が悪く、スタッフが現れてマイクを調節し、ようやくジョアンにエンジンがかかって、「フェリシタージ」を何度も何度も長時間繰り返した事も鮮明に記憶しているので、この噂はおかしいと思う。コンサートの後には、ロビーに歌った曲目のリストが張り出されていたのだが、写真に撮ろうとすると係員に制止されてしまった。ジョアンのコンサートは、ふたを開けてみないと何を何曲歌うのか全くわからないわけで、この辺の記憶については定かではありません。いずれにしても、フリーズの間は聴衆が総立ちの拍手で、時々手拍子になったりと、そしてスタッフが舞台に現れてジョアンに声をかけた時には場内が騒然となり、僕も、「最悪の事態」を考えました。この時は、舞台に駆け寄る人も沢山いました。本当にあんなに凄い雰囲気のコンサートは他に記憶が有りません。あれから十年以上が過ぎているのに、今でも思い出すだけで涙が出るようなコンサートのハプニングは、後にも先にも有りません。

この「フリーズ」は最終日でも起きたのだが、前日の横浜を知らない知ったかぶりで大馬鹿者の客が立ち上がって歩き回りながら、「みなさん、拍手を止めてください!ジョアンは拍手が止むのを待っているんですよ!!」と繰り返し叫んでおり場内は混乱状態になり、総立ちの大歓声の中で、拍手を止めて、「拍手やめてー!」と叫ぶ人もいれば拍手を止めない人もいて、僕はもちろん後者。客が対立状態になり、険悪な雰囲気になっていた。全く、雰囲気をぶち壊した馬鹿な客は絶対に許せない。そしてクライマックスが、アンコールの前に、ジョアンが立ち上がって、「ジャポ~ンコラソ~ン」を含むポルトガル語の即興歌唱を披露し、コラソンとは「愛」、「愛する」という意味。「日本を愛してます」とでも歌いたかったのだろう。その後ポルトガル語で挨拶。この意味は、「ごめんなさい。あなたたちの真心が見えるものだから」、そして「アリガトウジャポン」。これを聴いて、僕は気絶どころか死にそうになった。

まあとにかく異例ずくめのコンサートで、ジョアンの希望でエアコンはオフ、季節は九月だったので場内は蒸し風呂状態で、少なくとも気温は30度を超えていた事だけは間違い無い。非常灯もオフ。

本当に、今思い出しても涙が止まらない、偉大なアーティストによる空前絶後の「伝説」のコンサートでした。コンサートでは当然開場が遅れ、エントランスが人だかりになり、全ての日で係員が、「当日券は有りません」と叫んでおり、それを聞いて帰っている人も見受けられましたので、あの巨大ホールの全席のチケットが完売だったのだと思われます。僕は発売日に全ての日のチケットを押さえましたので、この判断は今でも正しかったと思っています。でなければ、全ての日を聴けなかったかもしれません。

というわけで、初来日公演のライヴCDの全曲が YouTube に有りますので、再びシェアさせていただきます。コンサートに行かれた方も行けなかった方も、当時の雰囲気をお楽しみください。長文をお読みいただき、誠にありがとうございました。


私は、ジョアンの三回の来日公演で、大阪の二公演を除く、東京と横浜の全ての公演に足を運び、まさに「空前絶後の経験」をしました。開演時間が一時間以上遅れるなんて当たり前で、ジョアンの希望でエアコンもオフで会場は蒸し風呂状態、非常灯もオフ。コンサートの時間も曲目曲数もジョアンの気分で変化し、二時間から四時間以上と、本当に翻弄され、これが最大のハプニングなのですが、拍手の中、舞台上でギターを抱えて二十分以上固まってしまった「フリーズ」等々、本当に、「伝説の来日公演」になりました。他にもエピソードは多いので、機会が有れば書きます。

会場だった、東京国際フォーラムホールA、パシフィコ横浜ともに、5000人ほどを収容できる日本最大のホールですが、日本中からファンが集まって、すべての公演が満席でした。

「ドタキャン常習犯で超変人」というのは常識でしたので、初来日(2003年)初日の、ジョアンがステージに現れるまでの場内の異様な雰囲気。突然の拍手、叫び声等々、こんなに異様なコンサート経験は、後にも先にもこの時だけです。それで、みんなが固唾をのんでジョアンを待っている中、遂に一時間以上遅れてジョアンがステージに現れた時には場内総立ちで、大歓声の中、既にアンコール状態でした。そして、日本語の「コンバンワ」で場内の興奮はピークになりました。そして最終日の4時間以上のコンサートのアンコールの前に、ジョアンがポルトガル語で何か挨拶し、最後に再び日本語で、「アリガトJapon」。変人のジョアンが「アリガト」と言ってくれるなんて、今思い出しても涙が出るほど嬉しいですね。

初来日公演の後に、ジョアンは、「私はこんな聴衆を探していた」と言ったらしく、後の二回の来日につながりました。高齢を押して、地球の裏側から三度も来日してくれたなんて、今思い出しても、嬉しくて涙が止まりません。

この初来日公演は、CD化の予定は無かったのですが、ジョアンのたっての希望で、DATによるテスト用の録音がCD化され、これは、ジョアンの最後のCDだと思われます。出来ればお買い求めの上、初来日公演の雰囲気をお楽しみいただければ幸いです。

2003年伝説の初来日公演のライヴCDより全曲を聴けます(YouTube より)。João Gilberto in Tokyo


ブラジルに行かない限り生で聴く事は不可能と思っていただけに、来日の実現やジョアンが日本を気に入ってくれた事は望外の喜びでした。ロビーで色々な人と話したのですが、北海道から沖縄まで日本中からファンが集結しており、東京国際フォーラムホールAやパシフィコ横浜の両巨大ホールの全てのコンサートが満席で、またあらゆるジャンルの日本楽壇のビッグネームの皆様も沢山いましたね。最初の「コンバンワ」から最後の「アリガトウJapon」まで、今思い出しても涙が出てきます。ギターを抱えて固まってしまった横浜での「フリーズ」には驚きましたが、20分以上拍手を止めずにジョアンを励まし続けた温かい聴衆の皆様も印象的でした。私の生涯最高の音楽体験の一つです。そういえば、会場で記念に買ったジョアン・ジルベルトTシャツは、今でも大切に持っています(笑)。

下の写真は、伝説の2003年初来日公演で演奏中のジョアンです。