History of My Web 2004 後半

 このページでは、更新履歴のほか、その日思った事などを、忌憚なく気ままに書いていきます。なお、内容は主観に基づくもので、一切の責任を負いません。

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2004年12月28日

 ようやく足のギプスが取れた。まだヒビは埋まっていないし、激しい動きは出来ないが、動きは格段に自由になった。痛みもほとんど無い。ゆっくりのんびり、静かな正月を迎えたい。


2004年12月27日

 便利屋が来た。とにかく手際がいい。必要な物とそうでない物を逐一確認しながら捨てていき、最後に掃除機。台所のシンクもきれいになった。全一時間。自分でやったら丸一日かかりそうな惨状が一時間できれいになった。さすがプロ。便利屋について、ネットでリサーチしたが、ありがちな掃除から思いがけない作業、 ハチの巣駆除、葬式のサクラ、 浮気調査、夜逃げまでやっている。法に触れない限り何でもやる。ただものでは無い集団だと思った。


2004年12月26日

 早いもので今年も残すところ数日。足を折っていて年末の大掃除が出来ないので、ものはためしにと便利屋に頼んだ。果たしてどんな仕事をするのだろう。プロの手腕をしっかり拝見したい。


2004年12月17日

 今年もあと二週間。最後に骨折というアクシデントもあったし、本当に大変な一年だったが、今、まだ生きている。生きている限り、いい事もあるかもしれない。最悪の一年の最後に死んだなんて事には、まさかならないと思うし、死んだ父がよく言っていた、「犬も歩けば棒に当たる」、生きている限り、何かいい事もあるだろう。来年が良い年になりますように。


2004年12月16日

 生まれて初めて救急車を呼んだ。思えば、今年は最初から最後までろくな事が無かった。最後になって、階段から落ちて足を骨折。 こんな時、全身よりも腕を守ってしまう本能が悲しい。下手をしたら死んでいた。しかし、ヴァイオリンを弾けない位なら死んだほうがマシ。楽しみにしていたクリスマスイベントは泣く泣く欠席。しかし、これが仕事となると、ギプスを外してでも弾かなければならない。 これが芸能人スピリット。暇人で良かった。今、未明、足が痛くて眠れない。年末で要件は山積。考えているとパニックになるが、それでも足は痛い。もうどうにもならない急性パニック症候群になり 午前2時半に119番。救急隊の方は非常に親切かつ迅速に病院に運んでくれた。初めての車椅子。暦によると、今年の僕は、後厄なんだそうだ。去年の大厄は良くも悪くもなかった分、今年まとめて出た気がする。来年こそは、良い年になりますように。それにしても、こんなピンチの時ばかりは、一人はつらい。 救急隊の皆さん、本当にありがとう!

 そういえば、今日は何も食べなかった。ここまで痛くて不自由だと食欲も出ない。今ダイエット中だからいいか。足一本不自由なだけで、生活がここまで変わるとは夢にも思っていなかった。


2004年12月6日

 やはり気が変わった。秋葉原に行った折、我慢できずに1979年製300Bと73年製274Bを買い、PK300に挿してみた。整流管を274Bにすると、ヒーター加熱速度の関係で300Bの寿命が延びる。あとRCAの6SL7、6SN7、5U4Gも買いこんだ。プリアンプからパワーアンプまで最高の球で固めたが、その音たるや、この世の物とは思えない。と、まだ300Bのエージングも終わっていないのに悦にいっている自分であった。 左の写真は、左からWE274B、WE300B2本、RCA6SN7、RCA6SL7。最強の組み合わせである。オーディオはハマってしまうとキリが無い。しかし、まともな回路で正しく組めば、必ずそれに見合う音が得られる。ずぶの素人がまともなアンプを組もうと思ったら、まずハンダ付けの練習から初めなければならない。キットメーカーが書いている程甘くはないことを、ここで明記しておく。

2004年12月3日

 初めて作った300Bアンプ、PK300の内部である。メンテ直後なので周りが散らかっているのはご容赦を。実に良く考えられた合理的な部品レイアウトである。 欲を言えば、ハム・バランサーが外から回せれば完璧だった(底板の穴の場所を調整するだけで済むのに)。設計に手抜きが無い。シャーシ補強板を中央に取り付け、それにブロックコンデンサ、メタルクラッド抵抗を取り付けている。しかし、これでも組み立ては容易ではない。回路の基礎も知らずに実体図だけで組むのは、かなり難しいだろう。完成品メーカーはユーザーのその弱みに付け込み、法外な高値を付ける。自分で組めば、これだけ完成度の高い300Bアンプが15万円以下である。特に三栄無線のキットは、自家工場製ステンレス溶接シャーシにボンネットまで付く。三栄無線の閉店は、これだけのレベルのキットを組める人が極めて少なくなった事が最大の原因だろう。 これからはエレキットのような懇切丁寧な組み立て説明書でなければ受け入れられないのかもしれない。三栄無線は、半導体以外のパーツは全て揃う便利さの上に 、入門用から超弩級まで優れたキットを沢山網羅していた名店だっただけに残念である。 それにしても、直熱3極管というのは、音もさることながら、球を差し替えるたびにハム・バランス調整が必要など、手のかかるアンプではある。

 プリアンプはマツダと東芝の高信頼球、ドライバと整流管はRCA、終段はWEと、頂点を極めたら、急に勿体無くなってきた。プリアンプをゴールデンドラゴンに、パワーアンプのドライバは米国フィリップス、整流管はソヴテック、終段をエレハモにしたが、エレハモの片方の残留ハムが多い以外は十分聴ける。少し神経質になりすぎていたようだ。貴重球は温存する方針にしたが、またいつ考えが変わるかはわからない。


2004年11月26日

 自分の演奏は、一部の熱狂的ファンを除いて、日本では受けない。なぜか。まず自分の演奏スタイルに原因がある。今のスタイルの主流は、完璧な技術で人工的な体裁だけ整えた、あらゆる意味で皮相なものである。自分は、このような演奏だけはす るまいと思っている。もちろんテクニックは不可欠だが、ハイフェッツ、クライスラー、ティボーのような、ロマンティックで琴線に触れる演奏が、真のヴァイオリン演奏だと思う。今の演奏を聴いていると、「そんな演奏してて、どこが楽しいの?」という演奏ばかりである。自分は現在苦境だが、自分のスタイルを変える事は絶対にしない。いつになるかわからないが、自分が正しかったと思える日が来ると信じている。


2004年11月25日

 今日は一日寝ていた。目が覚めたのは、朝と夕方、それに午前0時。このところ疲れがたまっていたので、まとめて出たのだろう。そういえば、先週は、ショッキングな失恋を始め、色々有った。それにしても今日がオフの日でよかった。

 強がりで、「失恋経験無数で慣れている」といっても、やはり失恋は、その都度つらい。今回は相手が19歳だったから、はなから無理か。しかし、ここ十数年家庭不和、両親のショッキングな死など、色々あって恋愛どころではなかった。今42歳、精神年齢は20代のまま なのに。この歳で青春時代の燃えるような恋は、もう無理なのか。「大人の恋」とはどんなものなのか考えあぐねている今日この頃である。


2004年11月6日

 どうしてもウエスターンの300Bを試してみたくなって、昨日、秋葉原で相場を調べた。希少なオールドはとても手が出る値段ではなく、復刻版を買い、一晩ラジオ放送でエージングした。そこで感想だが、 エレハモとは比較にならない良い音。「本物の実力」を聴いた。また、 電極がガスの炎のような青い光を帯びているのだが、この筋に詳しい方に聞いたところ、これは真空度が高いためとのこと。巷のコピー300Bとはモノがちがう。「本家」の凄さを思い知らされた。 これで、整流管とドライバー管はRCA、終段はWEと最強になった。左の写真は、携帯電話カメラ(100万画素)の限界、WE300Bの電極に帯びる青い光。

2004年11月4日

 PK300だが、一応のエージングは終わったようで、非常に落ち着いた温かみのある音になった。しかし話によると、トランスなどが完全に落ち着くには半年から一年くらいかかるらしい。気の長い話だが、期待を持って、今後の音の変化を見守ろうと思う。

 アクセスカウンタの数値が30000を超えた。このうち演奏を聴いてくださった方は何割位だろう。音楽と直接関係ないコンテンツもあるので、その関係でアクセスが増えている可能性は有る。また、ロボットも巡回しているので正確な人数ではないが、開設直後から刻み続けてきた数値が30000に達したのは、一つの節目である。アクセスしてくださった方々に心より感謝すると共に、今後ともよろしくお願い致します。


2004年11月2日

 今日から唐津くんち。去年、唐津くんちについて書いて一年が過ぎた。時が経つのは速い。このページも開設から1年と4ヶ月。アクセスがもうすぐ30000。自分でも意外なアクセス数だった。今年も「おくんち」とは御無沙汰。唐津では盛り上がっているのだろう。


2004年10月30日

 PK300だが、ドライバー管と整流管をRCAにしたところ、音質が激変した。解像度は高いがマイルドでソフトで暖かい。真空管アンプでイメージする音とはこのような音の事である。改めて球選びの重要性を再認識した。三栄無線のキットは考え抜かれたもので完成度が高いが、せっかくなら球にも気を配って欲しいと思った。


2004年10月29日

 PK300の音だが、昨夜から一晩中ラジオを鳴らし続け、格段にソフトになった。ソフトといってももやもやした音ではなく、分解能は高い。当たり前だが、6BQ5とは格が違う。聴き慣れたCDを聴くと、温かみが増してエコーが増えたように感じる。昔、ショップの店頭で聴いた300Bの音そのものである。球を良い物にすればもっと良くなるのだろうが、今のままでも十分いける。


2004年10月28日

 かねてから組んでいた300Bステレオパワーアンプが完成した。三栄無線のPK300というモデルで、 この機種にした理由は、ドライバー段が2段直結で終段が無帰還という基本中の基本と言えるオーソドックスな回路であり、かつボンネットが付いているからである。 200度を超える高温の真空管にボンネットは不可欠だと思うのだが、三栄無線を除いてボンネット付きのキットは少ない。三栄無線は、秋葉原で店を構えていた頃は、入門用から上級者向けまで、ほとんどのキットのボンネットを製作していた。非磁性ステンレスシャーシのボンネット付き最終在庫だったらしく、その後鉄製塗装シャーシに変わり、ボンネットが無くなった。パーツはオーディオ用高級品で固めてあり、 交換の必要性を感じなかった。トランスもカットコアで必要十分な大きさ。 なぜなら、今まで使っていた6BQ5シングルの小さなトランスでも低域不足は感じなかったから。それにしても、とうとう300Bに手を出してしまった 、このキットは、真空管ソケットを金具を使って数ミリ落として通気性を良くした上にボンネット付き。こんな事は汎用シャーシを使った完全自作では不可能で、ここにキットの良さがある。音は、エージングが終わらないと何ともいえないが、まだ固い。ひょっとするとロシア製 エレハモ300Bが問題なのかもしれない (写真はWE300Bを挿したもの)。かといってWE製は高価すぎる。ロシア製ブランド球、中国製ブランド球を試そうと思うが、それでも300Bは高い。しばらくエージングが終わるまで、現状の球で様子を見ることにしよう。

 


2004年10月27日

 また受信機収集癖が顔を出した。今度は、BCLブームの頃垂涎の受信機だったドレークSPR-4である。PLLではないオール・ソリッドステート受信機としては最高傑作であろう。最新の受信機からすれば機能も少なく、極々素朴な受信機であるが、 性能は第一級だし伝統のドレーク・トーンと呼ばれる独特の音質は健在である。 SSBでは固いといわれる音だが、AMではバランスよくソフトで非常に聴きやすい。リスニング派BCL向きの音で、むしろ以外だった。オプションのキャリブレータとノイズブランカも付いた極上品がヤフオクに出品されているのを発見し、意地で落とした。安い買い物ではなかったが、ブームの頃に30万円近くした受信機が1/3以下の値段で手に入ったのだから良しとしよう。何をかくそう、小生、生粋のアナログ人間で、最近のコンピューター化されたPLLデジタル受信機には、どうしても馴染めない。 小さく小粋にまとまった名機。大きな目盛りが印象的である。R-390Aで真空管受信機は極めたが、これで半導体受信機も極めた。ブームが去って30年後に味わう「幸せ」である。

2004年10月25日

 西武ライオンズが日本一になった。しかし、西武が勝ったのにしんとしている球場の雰囲気は何となく違和感。中日は50年ぶりのチャンスだったのだから気の毒な気も..いや、こんな事を考えるのは全力投球した中日選手に失礼。なにはともあれ、西武ナインの皆さん、おめでとう!


2004年10月19日

 プロ野球日本シリーズ真っ只中である。本来パ・リーグはダイエーが勝率一位なのだから、プレーオフなんて必要ないと思うのだが、有るのだから仕方がない。こうなったら西武を応援する。西武は昔、九州のチームだった。西鉄、太平洋クラブ、クラウンライターと身売りが続き、万年最下位。しかし大ファンで応援していた。西武に身売りした時は、みんなで泣いた。署名運動もした。あれから約25年、今でも懐かしいから西武を応援する。 西武頑張れ!


2004年10月16日

 "Amplificador de Ultima Technologia" へのリンクを追加。


2004年10月14日

 日記に書いていたジョアン・ジルベルト再来日公演の感想を、「ジョアン・ジルベルト来日公演レポート」に統合した。


2004年10月9日

 台風直撃。物凄い風雨である。今日がジョアン・ジルベルトの日じゃなくて良かった。

 久しぶりに、ホロヴィッツが弾いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲を聴いた(トスカニーニ指揮のライヴとワルター指揮のライヴ)。ホロヴィッツはどちらも見事。対称的な指揮者(両者は親友だった)だが、どち らも凄い。トスカニーニの強靭なカンタービレ、ポルタメントを交えた弦の歌わせ方、たたみ込む部分のとてつもない迫力。ワルター盤の、すっきりした歌わせ方と、たたみかける部分の迫力の対比。特にワルター盤は、弦の切ない歌わせ方とピアノに受け渡す部分のリタル ダンドが非常に印象的である。トスカニーニ盤は正規盤だが、ワルター盤は海賊盤である。ワルター盤は音が悪いが、現在のデジタル技術を駆使すれば、鑑賞に堪えるクオリティにはなる筈。是非とも正規発売を要望したい。


2004年10月4日

 このところ、ジョアン・ジルベルト関係でアクセスが急増している。おそらく今頃は大阪で公演が行われているのだろうが、東京と大阪ではコンサート会場の雰囲気が全く違うので、ジョアンがどう感じるか少々心配である。ちなみに私は、東京の4公演のチケットを買ってしまった。去年のように、ジョアンがゴキゲンである事を願うのみである。


2004年10月3日

 とうとうLLサイズの服を買う羽目になった。秋物の服が小さくて着れない。どうすれば痩せるのだろう。うちは駅から遠いから歩く距離は出ているはず。まだ足りないのだろう。しかし体力が..


2004年10月2日

 今年初めてキンモクセイの香りがした。去年より3日遅れである。今年は酷暑の他、台風が沢山来たり、大変な夏だった。これで本格的な秋。台風などの被災者の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

 イチローがやってくれた。とてつもない記録である。個人的には、日本、大リーグ含めて史上最高の野球の天才の1人のような気がする。小泉首相は国民栄誉賞授与を躊躇しているようだが、これで授与せずに、誰に授与するというのか。ただ、イチローの「選手生活を終えてから」という気持ちはわからないではない。

 テレビで花火大会の中継をやっていた。花火大会は、祖父が興した実家の会社でも毎年開催しているが、日本最高レベル、ひいては世界最高レベルの花火は、一度生で見てみたい。


2004年9月23日

 僕はロシア民謡が好きである。幼少時に母親が持っていた「百万人のロシア民謡」というアルバムですり込まれた。「モスクワ郊外の夕べ」、「エルベ河」、「収穫の歌」など、ソビエト時代の録音は、今も入手できるのだろうか。1940~1950年代のモノラル期は 、ソビエト声楽の最盛期だった。コズロフスキーが歌った「行商人」、他にも、 「カチューシャ」、「バルカンの星の下で」、「仕事の歌」、「バイカル湖のほとり」、「黒い瞳の」、「赤いサラファン」、「トロイカ」、「カリンカ」など、ソビエト黄金期のモノラル録音は多数ある。共産主義崩壊は仕方が無い し、スターリンによる多くの人々が粛清された恐怖政治の時代も一応知っているが、政治と音楽は関係ない。これらの共産主義が生み出した優れた録音の数々が聴かれなくなっているのだとすれば痛恨事である。この次にCDショップに行った時 にはチェックしてみようと思う。


2004年9月14日

 東京に戻ってきた。第一印象は、騒々しい、埃っぽい、汚い。人が住む場所とは思えない。これが日本の中核かと思うと情けなくなる。物が豊かで便利という以外、何の取り柄も無い街 、これが東京。日本の首都である。こんな所に住んでいたら気が狂いそうである。これが、故郷から帰った第一印象。


2004年8月10日

 明日、11日から実家へ帰省する。帰っても誰もいないが..戻ってくるのは9月初旬、2年ぶりの故郷、たった一人の故郷暮らしである。2年前は、父の急死の連絡を受けてあわただしく帰り、葬儀などでとてもくつろげなかったが、今回はのんびりしたい。猫に2匹そろって会えないことだけが無念である。


2004年8月5日

 このところオーディオについて色々書いているが、押さえておかなければならない事が一つある。それは、低周波再生メカニズムの進化は何十年も昔に止まっており、究極の回路がハイブリッドモジュール化されているという事である。普通に音楽を楽しむ分には、これを使ったミニコンで十分である。それでも満足できないごく一部の人や、クリエイティブな事を好きな人が、高価なシステムを買ったり作ったりするのである。ただし、100万円以上かけてもミニコン以上の音が出る保証は無い。雑誌の製作記事における作者の自画自賛などに踊らされる必要も無い。99%の人が、ミニコンで満足できると断言できる。こんな、自作を勧めないような事を書くと、自作派の僕としては、自分で自分の首を絞める事になりかねないが、事実は事実である。中途半端にマニアぶると、にわかマニアを食い物にする金儲け主義のオーディオショップの思うつぼである。先日も、ハンダゴテも持っていない人が、ショップの主人の口車に乗せられて真空管CDプレーヤーのキットを買っているのを見た。商売の邪魔は出来ないので黙っていたが、この客は、このCDプレーヤーを組み上げられないか、組み上げたとしても、音は悪いだろう。正しい半田付けも出来ない人に良い音を作れるはずが無い。おまけに、完成させても、リモコンも無い使いにくいCDプレーヤーを使い続けなければならない。それに、真空管には「寿命」が有る。良い球が入手困難な昨今、球が切れたらどうするのだろう。ちなみに自分のポリシーは、「良い音を」、「より安く」、「自分で作る」である。


2004年8月4日

 7月27日にロシア球を試したので、今度は中国球の代表であるゴールデンドラゴン(以下GD)を試してみた。マイクロフォニックノイズは国産球にはかなわないが、実用上十分少ない(イコライザ初段で使えるレベル)、音質は、以前、無帰還のSRP-200で使った時は、国産球との音質差が露骨に出たが、マランツ#7はNFBアンプのためか、音質差が打ち消されるようで、高域の伸びがイマイチで僅かに粗さがあるが、実用上問題ない。さすがに歴史のあるGDだけの事はある。それにしても、マランツ#7(コピー)の、外から球を交換できる構造は本当に便利である。

 こうなると悪乗りして、パワーアンプはロシア球で固め、中露球オンリーにしてみたが、音質は実用上十分である。貴重な国産球は温存して、しばらくこれで行こうかとも思ったが、いつ耳がダメになるかわからないので、やはり良い音は聴けるうちに聴いておきたい。マツダ+東芝に戻した(プリアンプのフラットアンプ部はマツダ12AX7の3連装、他も東芝のHi-S、Hi-Fi球)。

 実家で飼っていた猫二匹のうち一匹が死んだそうである。死にそうな所を牛乳で助けた猫だった(器量良しで大人しく上品。本当にかわいい猫だったが、母乳で育っていないため、体が弱かった。8歳は早過ぎる)。お手伝いさんが来た朝には元気に甘えてきて、気付いたら変な格好で寝ており、見たら死んでいたらしい。今にも死にそうなのに、最後の力で誰かが来るまで待っていたのかと思うと、何ともいじらしい。残されたボーイフレンドの白猫(こちらはたくましく気性が激しい、正反対の性格なのに上下関係は無かった)が可愛そうである。


2004年8月3日

 現在使っている6BQ5シングルステレオパワーアンプの内部である。三栄無線の入門用キットだが、回路に手抜きが無く、特に後期型は、電源にチョークコイルを使用しハムを根絶した。立派なボンネットも付いている。ラグ配線は少し面倒。僕は、6BQ5の性能を最大限に発揮させるためにパーツを吟味した。ダイオードはファーストリカバリー、電解コンデンサはスプラグとフィリップス、カップリングコンデンサは Solen、抵抗は多摩の金属皮膜、酸金抵抗は小型高信頼タイプである。ソケットやジャック類は、スピーカーターミナルを除いて全て金メッキ。たかが6BQ5シングル5Wとあなどるなかれ。手前味噌だが300Bもかくやという音質である(少しオーバーすぎたか..)。このキットは今も現役で改良版が発売されているが、ボンネットが無くなってしまった。取り付け穴は有るのに..6BQ5の表面温度は200度を超えるので危険である。ボンネットを再生産すれば、もっと売れると思うのだが..

2004年7月27日

 某真空管店の主人いわく、「某ロシア製ブランドの球はいいよ。」この種の旧東欧、中国球の中では最も高価。半信半疑で12AX7を6本買って、マランツ#7回路アンプに挿してみた。音は悪くない。しかし、マイクロフォニックノイズが多く、球によってはイコライザ初段に挿すとハウリングを起こす。結論は、パワーアンプでは十分使えるが、プリアンプでは無理という事。

 この種のマイクロフォニックノイズは、セレクトが甘いのではなく、設計に問題がある類の物である。特別に酷い一本を除いて、均一にマイクロフォニックノイズがある。いずれにしても、すぐに元の球に戻し、今は全てマツダ(東芝の旧ブランド)と東芝である。特に、終段の6R-P15は、マツダが6BQ5を超えるべく設計した上位互換球で、音も最高である。


2004年7月25日

 不思議なことだが、CDプレーヤーとパワーアンプを直結した音より、マランツ#7回路プリアンプを通した音の方が良い。良いというと誤解が生じそうだが、少なくとも聴きやすい。プリアンプは、増幅素子や接点、抵抗、コンデンサの塊である。プリアンプを通さずストレートに繋いだ方がピュアになるに決まっているが、実際はそうではない。原音再生は不可能と割り切った上で、オーディオシステムも「楽器」と考えれば説明がつく。だからこそマランツ#7は名機なのであり、オーディオは奥深い。

 似たような経験は、レコード再生でも有る。MCカートリッジ用トランスとヘッドアンプで、電気的特性はヘッドアンプの方が遥かに上なのに、実際はトランスの方が音が良い。

 結論は、原音再生は不可能と割り切った上で、如何に耳あたりの良い音を作るかに尽きる。


2004年7月20日

 天才指揮者、カルロス・クライバー氏が亡くなられたという噂が流れている。本当だとすれば、痛恨の極みである。天才にのみ可能な、極限まで研ぎ澄まされた、真の音楽を奏でる事ができる人だった。

 自分は、81年スカラ座、86年バイエルン国立全公演、88年スカラ座で、生のクライバーを体験した。生涯忘れない、極めつけの体験だった。

 クライバー氏はもちろん名指揮者だが、この種の天才にありがちな「変人」で「完璧主義者」だった。残された録音は極めて少ない。また、クライバーは、スタジオ録音とライヴでは「別人」になる。放送局などに保存されている乗りまくったライヴ録音を、次々にCD化して欲しい。

 出来れば、この噂は嘘であって欲しい。もう一度、クライバーの生を聴きたい! 奏でられる音楽、ダイナミックでリズミカルな乗りの良さ、溢れる歌、そして何よりも、カッコイイ指揮姿。永遠に忘れる事は無いだろう。


2004年7月15日

 午前2時である。NHKラジオ深夜便「ロマンチック・コンサート」は、7月14日がパリ祭で、パリにちなんだ曲集との事で、聴かないわけにはいかない。なんでこんないいプログラムが深夜に..深夜にロマンティックな気分に浸るのは最高だが、当然、明日の事を考えると心配である。

 それにしても、戦場の修羅場を乗り越えてきた軍用怪物アンティーク・ラジオ R-390A から流れる「ロマンチック・コンサート」は、音質といい、雰囲気といい、もう最高である。


2004年7月14日

 ベンヤミン・シュミットのヴァイオリン、小澤征爾指揮新日本フィルで、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲を聴いてきた。

 ソロは、技術は良かったが表現はイマイチ。小澤の伴奏は、過去に生で聴いた伴奏の中では最高だったが、不満が無いわけではない。いつもどおり、譜面に書かれた音符という部品を組み立てて響きを作るという「小澤流」だったが、ウィーン情緒をハリウッドサウンドで曲にした、極めて複雑な音楽の響きとしては、完成度が低かった。また、生真面目すぎて、コルンゴルト独特のウィットが表現できていなかった。

 また、1楽章と2楽章で事故が1度ずつ。改めて、この曲の難しさを再認識した。ただ、ハープとチェレスタを中央に置いたのは良かった。

 ハイフェッツのスタジオ録音とライヴは、いずれも見事な伴奏だが、おそらく作曲者自身が立ち会って指示を出していたと思われる。でなければ、あの完成度には到達できないと思う。作曲者亡き今、「本当の」コルンゴルト・サウンドを現実化するには、お金を湯水のように使って、チャールズ・ゲルハルト指揮ナショナル・フィルのような、ドリームキャストのオーケストラを編成するしかないような気がする。


2004年7月10日

 マランツCD7300+マランツ#7回路プリアンプの音だが、高域に、非常にキレの良い艶が出てきた。真空管アンプのメリットでCDのデジタル臭さが消え、鮮明さとソフトさを併せ持った輝くような実に良い音になった。この高音質を最も強く感じたCDは、コルンゴルトの "Kings Row" である。


2004年7月6日

 未明である。床に入っても眠れない。1本煙草を吸うと眠れるような気がする。これが、禁煙3ヶ月目の「無性に吸いたい禁断症候群」である。煙草を吸いたくてたまらない。しかし、これを乗り越えなければ禁煙は達成できない。近所の全てのたばこ屋にも禁煙宣言したから買うわけにはいかない。でも自動販売機なら..危ない危ない。とにかく吸わない。最初の山を超えなければ未来は無い!

 今日は用件の帰りに秋葉原に寄った。ふと気付いたのだが、昔、横断歩道の前で「何買うの?」などと客寄せしていた人がいない。自分は無視していたが、話によると、怪しげな店に連れて行かれて格安な電気製品を売ってくれるらしかった。初めて秋葉原に来た30年前、電気屋ばかりで仰天した思い出は、今も鮮明である。当時は石丸電気でレコードを買うのが主な目的だった。その後、格安量販カメラ屋の乱立で寂しい時代も有ったが、今は、パソコンと漫画、アニメ、フィギュア(アニメキャラの人形)の町になってしまい、自分が必ず寄っていた「名所」が次々に閉店し、中には主人が病気で無期限休業の店も有り、寂しい限りである。パソコンはともかく、アニメやフィギュアには抵抗がある。エレクトロニクスが極限まで進化し、高度成長期のような活気は、もう二度と来ないだろう。最後の願いは、今も生き残っている「名所」には、粘り強く頑張って欲しいという事である。


2004年7月3日

 自分の実家では、猫を2匹飼っている。昔、自分は猫が嫌いだった。生意気で図々しいというイメージが強かった。ところが、もう8年前、実家の車庫で、母猫がいなくなって死んだ子猫3匹と死にそうな1匹を発見、グレーの縞模様のメス、血筋が良いのか、しっぽも立派でなかなかの器量である。ミルクをあげたら元気になった。しかし、家で飼うつもりは無かった。

 いつの間にかボーイフレンド(白猫)ができて、いつも一緒に遊ぶようになり、追いかけっこを見ていると時間を忘れる。いつの間にか情が湧いてしまっていた。

 ところが、ある台風の夜、いなくなってしまった。ボーイフレンドの白猫は、毎日待ち合わせの松の木の上で待っている。猫は水を嫌うと云われるが、雨の日もずぶ濡れになって待っている。目は腫れて見ていられない。

 いたたまれなくなり、新聞と広告折込に「たずね猫」の広告を出して発見。2匹揃って家に入れた。もう、あんなに悲しい思いは二度としたくないと思ったから。これで家族が増えた。

 飼ってみると、今までの猫に対するイメージが180度変わった。素直で、マイペースだが、いつも、少しでもい心地のよい場所を探して歩き回っている。ある日、干した座布団を積み上げておいたら、しっかりその上で寝ていた。怒る気が起こらないから不思議である。全てが可愛い。

 猫を複数飼うと、必ず上下関係が出来ると云われているが、うちの場合はそれが無く、いつも同じ箱で一緒に寝ている。幸せそうな顔で..

 もう2年ほど実家に帰っていない。今日は無性に猫に会いたくなった。去年は父の初盆だったが帰れなかった。もうすぐ母の命日でもある。お盆のピークを外して、今年は実家に帰ろうかと思っている。


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