【演奏評】
コルンゴルトの音楽に何を聴き取るかは人それぞれだ。ある人は後期ロマン派の熟れ切った美を見つけるだろうし、別の人はハリウッド映画音楽の原型としてのシンフォニックな造型にカタルシスを求めるだろう。
だが、万人が等しく認めるのは、その根底にある音楽的活力であり、ムジツィーレンする喜びであろう。そしてまた、伝統ある音楽の都ウィーンで身に付けた品格のある形式感であり、それはコルンゴルト独特の洒落た身振りともなる。
こうしたコルンゴルトの美質が最もよく表れた傑作が、ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35であることに異論を挟む人はいないだろう。
今やヴァイオリン協奏曲のレパートリーに定着した感のあるこの名作には、初演者ハイフェッツをはじめ、あまたの名演がある。昨今はJ-クラシックの女流ヴァイオリニストの大物たちがこぞって取り上げるので、やはり童顔のコルンゴルトには母性本能をくすぐるものがあるのかと勘繰ってしまうほどである(もちろん冗談です!偉大な演奏家に性差は関係ありません)。
だが、この協奏曲はヴァイオリニスト泣かせの難曲で、あのパールマンも無味乾燥な表現に終始したし、若手シャハムは美音だけれど熱い血潮に不足。ハイフェッツは全体を良く見通していたけれど、個人的には、ステンレス製のスポーツカーで少し飛ばし過ぎか、という感じを持っている。
そこで私は、ここに敢えてもう一つの演奏を加えたい。日本が誇る名ヴァイオリニスト江藤俊哉氏の愛弟子、時津英裕氏が行った、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲の日本初演の際の演奏である。
残念ながら私はその場にいられなかった。私の感想は、その時の録音をリアルオーディオで鑑賞した時のものである。
それでも私は体に強烈な感情がほとばしるのを感じた。私が「コルンゴルト」という名前でイメージするすべてが音として現実化されている感じがしたからだ。臆面もなくロマンティックで歌に満ち、同時にいたずらっ子のように陽気なウィットに富み、人なつっこい顔をしながら、その実、ものすごい超絶技巧で、きちんと基本をマスターしていなければとても弾けない、プロフェッショナルな音楽……。それが眼前で実際に展開されるのを目の当たりにした感動を、どのように伝えればいいのだろうか……
時津氏の演奏は実にしっとりとした、抒情的で美しいものである。音色にロマンティックな潤いがあり、しなやかで、表現の幅が広く、とりわけ旋律を伸びやかに歌わせているのが印象的だ。
この曲は技巧的に至難なので、テクニックに走る演奏も見受けられるが、テンポの頻繁な変更に見受けられるごとく、この曲は本質的には叙情的な、ロマンティックな曲なのだ。氏の演奏はまずそうした曲の本質を突いて来る。しかも、感情に溺れることもなく、巧みに美音をコントロールしながら、大きなクライマックスを導いてゆく。
むろん、技巧は素晴らしく冴え渡っている。第3楽章の唖然とするような超絶技を聴けば、それは十分に納得させられるだろう。
だが、それに振り回されることなく、コルンゴルトの本質であるロマンティックな叙情性を十二分に引き出していることが、この演奏の価値を大いに高めている。
これが日本初演だということが信じ難い。無論、傷はあるし、会場の音響や録音条件もベストとは言えない。だが、時津氏の造形力豊かな演奏に刺激されてか、伴奏の九州交響楽団も深い共感を示し、スコアのツボを憎いほどよくつかんで、時津氏自身「奇跡」と述べる燃焼を実現している。聴衆のリアクションもいい。
これが最適の条件下で録音されていれば、この演奏に対する評価は相当違っていたはずだし、名盤に名を連ねていたかも知れない。個人的には、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲の演奏の、一つの理想型と言ってもいい。
是非、一人でも多くの人々にこの録音を聴いて頂きたい。
そして、なろうことなら、ベストの条件で、時津氏と九響の面々に、初演の水準の演奏を再現し、レコーディングしてもらいたいものだ。
(早崎隆志)
リンク
早崎さんが生涯を賭けて著された力作、コルンゴルトの伝記を、早崎さんが自ら紹介するページ。内容見本として、「はじめに」と、「プロローグ 1910年10月4日」を読むことが出来ます。内容にご興味を持たれた方は、是非お買い求めください。
私のコルンゴルトとの最初の出会いから日本初演までのエピソードおよび、現在の心境をまとめたもの。
評論を寄せてくださった早崎氏に、心から感謝します。早崎氏には、言葉がありません。(時津英裕)
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