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2006年12月20日
| 亀田とランダエタの因縁の対決をテレビで見た。前回の亀田が無様だっただけに、ランダエタに肩入れしたくなる感情を抑え切れなかったが、蓋を開けてみると、今日の亀田は強かった。マスコミのバッシングにひるむ事無く努力を続け、前回より明らかに動きが良く、強くなっていた。見事なタイトル防衛であった。 |
今、ニュースで死刑制度について取り上げていた。今年下された死刑判決は40件、うち確定したのは20件との事。
自分はかつて、死刑制度には絶対反対だった。第一の理由は、人が人の裁きで命までは奪えないという考え方、もう一つは、誤審だった場合、執行後では取り返しが付かないからである。
しかし、この考えが揺らいだ事件が起こった。「地下鉄サリン事件」である。麻原彰晃の指示の元に行われた残忍な犯行の数々は、「この史上最悪の犯罪者は、死をもって償うしかないのではないか」という考えを生んだ。被害者遺族の心情も鑑みての事である。
死刑に値する事件の被害者の遺族が、犯人の「死」を望む以上、日本から死刑制度が無くなる事は無いだろう。
しかし、別の考えもある。自分は個人的事情で、人の生き死にに多数接してきた。それで生まれた考えは、「人の生死は紙一重、命なんてあっけないもの」という考えである。裁判の渦中にある被害者の遺族は、犯人の「死」以外は頭に無いと思われる。しかし、死刑が執行されて、犯人が死んでも、殺された被害者は帰ってこないし、やり場の無い感情も残るだろう。誰でも一度は死ぬのだから、生きて償ってこそ、罪の償いになるという考え方である。
凶悪犯人に「死の恐怖」を味あわせたいという感情もある。しかし最近は、自ら死刑執行を望み、控訴を取り下げる犯人までいるし、日本で行われている絞首刑は、アメリカの薬殺と並び、「最も安楽な死」である事も証明されている。「死の恐怖」は罪の償いにはならない。
死刑制度には賛否両論が有るが、自分はかつて死刑制度反対論者だったが、最近の事件の凶悪化を見るにつけ、考えが揺れている昨今である。
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