その他/日記など: 2008年11月アーカイブ

 遂に耐えられず病院に行ったら、熱が38度あった。腹の具合も悪いし喉も痛くなってきた。

 出てきた薬は、頓服のオンパレード。ポンタール、ロペミンなど。これはピンポイントで熱や腹に効く薬。その他殺菌剤、整腸剤など、出すだけ出してもらった。

 今日から五日間は養生だな。

 相変わらず体の節々が痛い上、お腹の調子も悪い。昨夜からトイレとペットを往復中。もう50回くらい往復しているかもしれない。昨夜はほとんど寝ていない。こんな一日は耐えられない。腹の調子さえ上向けば、ゆっくり休めるのだが。

 体の節々が痛い、体がだるい。熱を計ると微熱が..風邪ならいいが、タチの悪いインフルエンザも流行しているらしい。それにしても、ここ数週間の精神的充実度の無さは何なのか。ブログも書く気がしない。何もやる気が起きない。

 誰でもコンディションの悪い時は有ると思うが、こういう時だけは、一人はつらい。おふくろが生きていた頃は、寝ずの番をしてくれた事も有ったっけ。もうみんな死んだ。一人になると、こうしているうちにも、どんどん落ち込んでいる。間違っても「死のう」などとは考えないようにしなければ。

20日の解禁以来、毎日のようにボジョレー・ヌーヴォーを呑んでいたのだが(もちろん安いやつ)、3日目の22日には、もう酸味が出ていた。今年は今までにも増して劣化が早いという事だが、いずれにしても、打ち止め。赤ワインは常温で飲むのだが、いくらコンビニとはいえ、保管場所は、少なくとも直射日光が当たらない場所を選んで欲しかった。

 家の目の前にコンビニが有り、店の主人に強引に一番高いものを予約させられたボジョレー・ヌーヴォー。今日の午前零時、ささやかなカウントダウンとともに買ってきた。恐らく僕が日本で一番最初にボジョレー・ヌーヴォーを呑んだ一人ではないか。

 一番値段が高いものを予約させられたのだが、どうして値段が高いかというと、買ってみたら、味ではなく、桐の箱に入っているのであった。こんな事ならもっと安いものを予約したのに、と思うも後の祭り。桐の箱は使い道が無い。

 さて味だが、ソムリエでもないので下手なコメントは差し控えたい。しかし、さっぱりした味で、去年飲んだもっと安いものよりはうまい気がする。そもそも味など関係無い。縁起ものなのだから有りがたく飲むべし。これからの一年が良い年でありますように。

 早いもので、もうボジョレー・ヌーヴォーの季節である。ボジョレー・ヌーヴォーについては、「熟成していないワインをありがたがるのは愚の骨頂」などという声も聞こえてきそうだが、縁起ものなのだから、難しい事を言わずに楽しむのが僕の流儀。

 さて、今夜(明日未明)は日本サッカーの天王山。アウェーで勝ち点が同じのカタールと対戦。どうしても負けられない試合である。岡田監督がイマイチ頼りないのが心配だが、我々日本の代表なのだから、運命共同体。テレビで見届けるつもりである。

 はっきり言って、僕の髭は「剛毛」である。ブラウンやパナソニックなど色々なシェーバーを試したが、どれも駄目だった(3ヵ月も経たずに刃が欠ける)。そんな僕が、長年愛用しているのがフィリップスである。

 今使っているのは2年半前に買ったのだが、刃を一回交換しただけで、何の異常も無く楽々と使い続けられている。フィリップスの発表では刃の寿命は5年との事だが、僕の剛毛では2年半で駄目になる。それを除けば、長寿命ハイパワーのリチウム・イオン電池で、10年は使い続けるつもりである。フィリップスの無い人生は考えられない。

 外見が物々しいので敬遠されやすいフィリップスのシェーバーだが、長寿命ハイパワーを求める人には文句無しでお勧めしたい。使えば使う程愛着が湧いてくるフィリップスのシェーバーである。

philips.jpg

 毎週月曜夜はNHKつけっぱなしだったのだが面白くない。どうせ他に面白い番組も無いし、「水戸黄門」でも見てみるか。と、久しぶりに「水戸黄門」を見たのだが、不覚にも感動してしまった。

 感動したのは、印籠で決着した後、命を粗末にしようとするヒロインに、若代官が、「この世には、生きたくても生きられない人もいるんだ」と言った場面。

 そう、生きていること自体が幸せな事、キリスト教的にいえば「神」に生かされているというのに、死のう等と考えるのは、甘ったれ以外の何物でもない。もう一回停滞していた心をリフレッシュして、明日から(今から)強く生きていこう。

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と、自分に発破をかけても、落ち込んだ心は簡単には元に戻らない。僕の人生は、あまりにも過酷だった。「うつ」は「病気」なのだが、自分の心を完全に「解放」するためには、やはり自分以外の「力」が必要な気がする。

 サザエさん40周年だそうである。特別番組を見ていたのだが、誰でもが夢見るであろう朗らかな家庭が描かれていた。僕も、母親も、そのような朗らかな家庭を望んでいた。

 全てをぶち壊しにしたのは父親である。20代後半で見合い結婚し、それを境に自分が完成された人間であるとのぼせ上がり、家庭の中で王様として君臨し、どんなに自分に非が有っても、絶対に認めない。何十年過ぎても認めない。時にはピアノを倒し、ハンマーを持って「お前の指など叩き潰してやる」と叫びながら追いかけまわされ、妹も何の悪い事もしていないのに、尻を丸出しにされて叩かれ、これらの横暴は子供が30歳を過ぎても続き、2人の子供は取り返しのつかない心の傷を負った。

 母親が、優しかったものの、また弱く、このような横暴から子供を守ってくれない。父の浮気が発覚した時点で完全に正気の沙汰ではなくなり焼身自殺。流石の父もこれで反省したが、3年後にすべてを放り出して首吊り自殺。後には、心に深い傷を負った子供二人が残された。

 とにかく、色々な家庭不和を見てきたカウンセラーの方などでも、これ程ひどい例は聞いた事が無いとの事。全ては父親が悪かったのである。これでも僕は生きなければならないのか。僕は、精神に作用する致死量の薬を貯めこんでいる。これを飲めば死ねる。いっそ死んでしまいたい。今死ぬかどうかは別として、少なくともこの薬が僕の「お守り」である。

 こんな事を書くと、またインターネットは匿名と信じ込んでいるバカな奴が、「死ね」とか「実家に帰れ」とか書いてくるかも知れない。バカにつける薬は無いから、このようなバカは死ぬしかないので、同じ「死ね」という言葉を、諸悪の根源たるバカどもに捧げたいと思う。

 「本当に満足の出来る体操人生だった」と言える冨田選手は幸せである。

 僕は、自分の音楽人生に全く満足できない。幼少時から父親の妨害と暴力に晒され、精神力だけで続けた学生時代。高校2年で遂に力尽き、プランク、高卒を取って桐朋ディプロマへの入学後、ようやくまともになりかけたが、プロになって、お人好しで田舎者(カッペ)の僕は、格好のいじめ、潰しの対象となり、意地で弾いたコルンゴルトが辛うじて録音に残っている事で精一杯。

 たらればは無しが原則だが、僕には当てはまらない。この才能で恵まれた環境だったら、今頃はスターである。これは自己愛でも負け惜しみでも無い。誰にも負けない自尊心、プライドに他ならない。

 NHKニュース・ウォッチ9で、まさに頭が下がるとしか言いようのない「警察官の鑑」が報道された。

 福岡県のターミナル駅である博多駅で朝と夜に何時間も、立番(りつばん、つまり脚立に立って警戒する事)しながら笑顔の大きな声で挨拶をするという、考え方によっては極めて過酷な勤務を、やりがいを感じながら行っている微笑ましくも涙ぐましい感動的な警察官である。

 最初は通行人がびっくりする事も有ったようだが、今ではすっかり馴染み、博多駅の「顔」のひとつになっているとの事。立番に立っている時は置き引きなどの犯罪が一件も起こっていないというから恐れ入る。

 まさに体と声をはった警察官魂に、心の底から感動した。

 先週の金曜日に亡くなられた筑紫哲也さんが、多くの番組で偲ばれている。最初に一報に接した時は、「遂に力尽きられたか」と、半信半疑のような、信じられないというか、実感が無かったのだが、偲ぶ番組を見れば見る程、涙が溢れてくる。本当に貴重な人を失った。

 テレビ界の人の死でこんなに涙が出たのは、いかりや長介さん以来である。18年間、夜の11時は筑紫さんと決まっていた。このニュースを見て寝るという「日課」を失って、これからどのように生きていったらよいのか。

 筑紫さんが最後までこだわった、反戦、平和。この精神を失わず、強く生きていく事が、18年間の「日課」であった筑紫さんに報いることになる。まさに報道に命を賭けた壮絶な人生。偉大なジャーナリスト、筑紫さんの事を、僕は一生忘れないだろう。

 僕の故郷、佐賀県唐津市では、今日から「唐津くんち」。年に一度のお祭りである。江戸時代から明治初期にかけて、各町が心意気を示すために作っただし(曳山)14台が、勇壮に街中で曳きまわされる。人口10万にも満たない唐津市が、この期間は人口50万になる。今日は宵山、明日がクライマックスで、明後日まで続く。明日はNHK夜7時のニュースで紹介される可能性が高いので。ご興味のある方はご覧になってください。

 今日、東京で木枯らし一号が吹いたらしい。季節は本格的に冬に向かい出した。僕にとっては身も心もブルーな季節である。

 そういえば、ジョアン・ジルベルトのコンサートはどうなるのか。例によってエアコンを切るのだろうが、今回は12月。寒い中で凍えながら聴くことになるのか、それよりも、ジョアンの喉が心配である。

 NHKテレビの解体新ショーという番組で、絶対音感を取り上げていた。感想は、これでは絶対音感の半分も解説されていないという事だった。絶対音感とは、基準を与えなくても音程がわかる能力の事である。大体わかるのではなく、研ぎ澄ましてゆけば1ヘルツの違いも聴き分けられる。僕は幸運にも(本当に幸運かはわからないが)絶対音感を持っているが、桐朋に入って弦楽器の多くの生徒が絶対音感を持っているのに驚かされた。また、桐朋のソルフェージュの授業は、絶対音感を持っていると圧倒的に有利なようにカリキュラムされており、僕は一年半の最短期で四年分の単位を取得した。

 絶対音感は子供の頃から訓練しないと身に付かないと説かれていたが、僕は子供の頃訓練など受けていない。母のお腹の中にいた頃からミュンシュの「運命」、「未完成」を聴かされ、生まれてからも、ミュンシュの他にワルターのベートーヴェン交響曲全集、ハイフェッツのツィゴイネルワイゼン、ハリー・ベラフォンテのスピリチュアル、ロシア民謡のレコードを夢中になって聴いていただけである。今は、生まれた時から音楽を愛していた事が、絶対音感につながったと思っている。

 ヴァイオリンを始めたのは三歳半だが、当時どうしてチューニングの時にピアノで「ラ」の音をわざわざ鳴らすのか不思議だった。音程は頭の中に有るのに。そのうち妹がピアノを始めたのだが、和音を聴いて音程を当てるという訓練を先生が行うのだが、こんな簡単な事を何のために行うのか意味不明だった。どんな和音でも、不協和音でも、構成する音をバラバラに聴く事も、まとめて聴く事も出来るのに。謎は深まるばかりだった。

 学校で合唱を行うと、決まって音程がずれてくる。みんなピアノ伴奏を聴いていないんだと思っていたが、みんなに合わせるわけにはいかないし、みんなは僕が音程ずれていると言うし、絶対音感を持っていて得した事など一度も無かった。当時はこれが絶対音感だという事にさえ気付いていなかったのだが。

 中学生になった頃、ヴァイオリンの先生に、どうしてチューニングでわざわざピアノを叩くのか訊いてみた。先生は「え!」と言い、色々な音や和音をピアノで弾き出した。僕は全ての音程を当てた。こうして僕が絶対音感を持っている事が明らかになった。

 桐朋に入って、同じ絶対音感でもピンキリだという事もわかった。単に音程がわかるだけといったレベルから、どんな和声でも、瞬時に度数などがわかるレベルまで様々だった。僕にとって和声の授業は、それまで蓄積していた知識を整理するだけの作業だった。

 しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし。絶対音感は有るに越した事は無いが、1ヘルツの音程の差や、不協和音の構成音がわかって何になるというのか。何をしていても音楽が聴こえてくると音楽に集中してしまう。頭の中で管弦楽でもオペラでも完全に再現できるので、一人で集中していい気持ちになって周りから気味悪がられる。絶対音感が僕の人生を変えた事は確かだが、現状を考えると、果たして幸せだったのか、複雑な気持ちになる。

 最後に、絶対音感を持っている人にしかわからない怖い話を。風邪やインフルエンザで40度近い熱が出た翌日や、カルバマゼピンという成分の薬を飲むと、絶対音がずれてしまう。つまり、テレビやラジオで流れる音楽や、レコード/CDの音、調律しているはずのピアノの音など、全ての音程がずれて聴こえるのである。こうなると、もう音楽を聴く事も(無理に聴くと気持ち悪い)、弾く事も出来なくなる。普通1日から数日で元に戻るのだが、自分の耳が信じられないという苦しみが数週間続く事も有る。これでは仕事も何もできない。地獄である。

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