Maestro: 2012年1月アーカイブ

昨年が没後十周年だった。團さんとは何度も仕事をした。中でも、「筑後川」の作曲家指揮によるコンサート、「筑紫賛歌」の作曲家自身の指揮による初演は忘れがたい。昨年は没後十周年だったのだが、これといったイベントは無かった。しかし、團さんは、日本が世界に誇る、20世紀を代表する日本の大作曲家である。僕は音楽家としても、人間としても、團伊玖磨さんを心から尊敬しており、それについては過去に書いた。興味が有る人は検索してみてください(音質を落としたMP3サウンドも公開しています。是非お聴き下さい。気に入ったらCDを購入してください)。

さて、團さんは数多くの名作を作曲したが、その中で最も親しみやすいのは、二曲の祝典行進曲(それぞれ二代にわたる皇太子ご成婚に捧げられた)と、「筑紫賛歌」、「筑後川」であろう。その中で、「筑紫賛歌」、「筑後川」のCDが、廃盤の危機にある。アマゾンでも残り数枚。没後10周年は過ぎたが、これを機に、團さんの素晴らしい芸術に、一人でも多く接して欲しいものである。

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僕は16歳で第1級アマチュア無線技士(以下1アマ)の免許を取得したが(今は無線通信は行っていない)、当時の試験は一筋縄ではいかない記述式の大変に難しい試験であった。無線工学では最終的な答えを導くまでの途中経過も記述しないと得点がもらえない。法規の試験では、法令文を一言一句違わず記述しないと得点がもらえなかった。

難しいと言っても、プロの免許(1技、2技、1通、2通)に比べれば易しいし、無線工学は、進学校レベルの高校の数学と物理の知識に毛が生えたくらいの知識が有れば十分合格できるレベルである。対数や複素数、微積分などを必要とする問題は滅多に出なかった。

僕が受験した時は、無線工学で、常用対数 log5.7 を算出しなければならないという難問が出たが、計算尺を持っていたので助かった。電気通信術もモールスの欧文、和文、それぞれの送信、受信の試験が有り、和文の受信が天王山と言われていた。

最近の動向をネットで調べて唖然とした。記述試験はマークシート式で、電気通信術では和文が無くなり、欧文の受信だけとの事。送信の試験も無い。こんなに試験を易しくして、何の意味が有るのか。

日本はアマチュア無線に対する見識が甘く、最下級の第4級アマチュア無線技士(以下4アマ)でもかなりの事が出来る。特に、養成課程講習会という制度が有り、レベルの低い4アマを大量生産している。ちなみに養成課程講習会で免許を取った人は、「講習会アマ」と馬鹿にされている。

レベルの低い無線従事者に電波を解放しても、ろくな事が無い。僕が無線をやっていた頃も、オーバーパワーは当たり前、オフバンドで平気で通信する悪質な例も有ったが、今はどうなっているのだろう。

4アマでもかなりの事が出来るのに、上級の2アマ、1アマの試験を易しくして何の意味が有るのか。はっきり言えば、これは電気通信管理局の怠慢である。難しい試験を行うには、それ相応の能力を持った試験官が必要になる。今やそのような高度な能力を持った人が不足しているのだろう。

難しい試験を受けて1アマを取得した僕としては、最近のアマチュア無線の試験のレベル低下は腹立たしい限りである。電波を手軽に開放するという意味で、4アマを大量生産する事は、辛うじて良しとしても、見かけ倒しの上級者を大量生産する事には、意味が感じられない。

アマチュア無線の電波帯は、冒険家など、地上との通信手段がどうしても必要な人など、必然的に必要な人にのみ開放するべきである。レベルの低い4アマが電波を占領するばかりか、低レベルな上級アマがハイパワーで電波を汚しまくる事だけは、絶対に避けなければならない。電波を効率よく有効活用される時代が来ることを願っている。

素晴らしい音を奏でてくれているマランツ#7だが、製造された当時は、まさか50年以上プリアンプの王者として君臨するとは考えられていなかったようである。

まず、殆どのネジがタッピングビス。これは、いずれ馬鹿になる。ピンジャックや真空管ソケットの取り付けはリベットで、ネジではない。これでは接触不良などが起きても交換できない。

腫れ物に触るような気持ちで大切に扱わないと、いずれ取り返しがつかなくなる。画期的な回路設計や、美しい配線を考えると、何ともお粗末だが、理想主義と合理主義の両方を併せ持ったアンプであり、もちろん今さらメーカーのサポートも受けられないから、故障したら自分で修理しなければならない。

マランツ#7は折り紙付きの名機だが、扱いには細心の注意が必要。メンテナンスが出来る人で、良好な状態を維持できる人以外には、とてもお勧めできない。

それでもマランツ#7の音を味わいたければ、レプリカの中古を買う事である。これなら、メーカーのサポートを受けられる可能性が有る。しかし、レプリカは使われているコンデンサなどが異なり、整流もセレンではなく、オリジナルの素晴らしい音が出るとは限らない。僕はレプリカの音は知らない。少なくとも、中国製の真空管は、テレフンケンとまではいかずとも、まともなものに交換する必要が有るだろう。実際、今は完売したが、売れ行きは悪かったと聞いている。

ウインタミン、ベゲタミン、いずれもかつて、僕に処方されていた最強の薬である。主成分は塩酸クロルプロマジン、ベゲタミンには更にフェノバルビタール等、極めて危険な成分を含む最強で、最も「死」に近い薬である。日本の権威、牛島先生の処方だから、当時の僕は、そのような精神状態にあったのだろう。何せ両親を自殺で失ったのだから、心の傷は深かった。

しかし、これらの薬は副作用もきつい。両薬に含まれる塩酸クロルプロマジンの副作用により、僕は40代で目が白内障にかかり、両眼手術を受けた。元々の水晶体はピント調節機能を持っているが、濁った水晶体の代わりに入れる眼内レンズはピント調節が出来ない。メガネを作り、読書やパソコンはメガネ無しでは出来ず、不便極まりない。

また、ベゲタミンはふらつきを呼び、階段から落ちて危うく死ぬところだった。幸い足の骨折で済んだが、薬を止めると希死念慮などのうつ症状が出るので止められない。2006年のリサイタルで手が痙攣したのも、これらの薬が原因だった。

しかし、ここに来て、心の傷がかなり回復し、このような強いメジャー・トランキライザーを止める事が出来た。体が軽い。痙攣も起きない。体調は間違いなく良い方向に向かっている。第二の人生出発、もう一花咲かせたい。

「愛しの」と言っても恋愛沙汰ではない。彼女は既に結婚している。ここで言いたいのはピアニスト藤原由紀乃さんのピアニズムの素晴らしさである。2006年のリサイタルで、僕は大枚はたいて彼女に頼んだ。これは大成功であった。ただ、予期せぬアクシデントが起きて、彼女には迷惑をかけてしまった。藤原さんのお母様にも大変なお世話になった。彼女は僕との共演は、もう懲り懲りと思っているかもしれない。しかし、もう一度彼女と弾きたい。リサイタル当時は、最強の薬を含む薬漬けで、副作用により手が痙攣してしまった。現在、ようやくメジャー・トランキライザーの呪縛から解け、軽い薬だけで生活できるようになった。もう手が痙攣する事は無い。彼女は、日本人離れの音楽性の持ち主で、「そこルバートして」と頼むと、和声に従った絶妙なルバートをしてくれる。例えば、ドヴォルザークのソナチネ4楽章の再現部への経過を聴いてみてほしい。こんな日本人ピアニストは他にいない。再び藤原由紀乃さんと共演するのは、僕の夢である。

 近代的なスタイルのチャイコフスキー「悲愴」と言えば、真っ先に思い浮かぶのがムラヴィンスキーの演奏。あんな完璧無比な演奏は二度と現れないかと思われていた(ちなみに古いスタイルの代表はメンゲルベルクとフルトヴェングラー)。1971年、カラヤン/ベルリン・フィルは絶頂期にあった。そんなカラヤンが、本気でムラヴィンスキーを超えようと録音したのがこの演奏。全盛期のカラヤン/ベルリン・フィルの面目躍如の演奏である。特に三楽章の迫力は凄い。今回SACD化され、音質が格段に良くなった。今日届いたのだが、改めて聴いて、全盛期のカラヤンの凄さを再認識した。4、5、6番のセットで6000円だが、これはお買い得である。特に「悲愴」が凄い。コンマスの席にシュヴァルベが座っているのだろう。大好きな4番2楽章の中間部も感動的。SACDハイブリッドだから、普通のCDプレーヤーでも再生できるが、特にSACDプレーヤーを持っている人は必聴である。
 

数週間前から点いたり消えたりしていたのだが、今日になって全く点かなくなった。しかし、僕が入手したマランツ#7は、店頭展示品で殆ど使われていないものではなかったのか。店頭で電源入れっぱなしだったのか。腑に落ちないが、蓋を開けて各部の電圧をチェックしても、セレンの劣化は感じられないし、実際音も素晴らしい。なお、この音は、球がテレフンケン・ダイヤマークでないと得られない。50年以上昔に作られた電球だから、現在の電球よりも品質が落ちる事は、十分考えられる。僕はメンテ用に、マランツ7Kキットを持っており、これから流用して新品の電球に交換したのだが、今までよりも暗い。定格電圧が違うのかもしれない。しかし、暗いという事は、それだけ電球が長持ちするという事だから、とりあえず良しとしよう。究極を追求するなら、電源を整流して抵抗を入れ、白色LEDにする事だと思うが、今回は代替えの電球が有ったので、これでしばらく使ってみようと思う。

それにしても、マランツと心中する覚悟を決めて入手したマランツ7Kキットだが、これは、オリジナルとは似て非なる全くの別物である。パーツのグレードを別としても、ロータリースイッチのシャフトの太さは違うし、電球の明るさも違う。プレッシーの紙コンデンサや国産ソリッド抵抗の品質の低さは、今さら言うまでもない。これでは良い音は求めるだけ無駄である。

しかし、僕はマランツ#7オリジナルを入手するまでは、マランツ#7と同じ回路で、パーツを最新にしたプリアンプを使っていた。音には満足していた。最強だと思っていた。はっきり言って、この音に満足し、アーレン・ブラッドレーのソリッド抵抗や、ブラック・ビューティやバンプルビーのコンデンサを馬鹿にしていた。しかし、オリジナルマランツ#7を入手して、レプリカは知らないが、オリジナル#7と比べると、何ともギラギラした悪い意味で艶っぽい音である事に気が付いた。パーツの性能は上がっているのだろうが、50年以上昔に作られたマランツ#7の音には、言葉では言い表せない味が有る。これは、今となっては旧式の、アーレン・ブラッドレーのソリッド抵抗に、バンプルビーのオイルペーパーコンデンサ、それにセレン整流器だからこそ出る音なのであろう(なお、旧来のオイルコンデンサには、絶縁オイルとして猛毒のPCBを使っているものが有り、捨てる時は注意が必要、と言うより、捨ててはいけない)。また、高密度ベーク板によるラグ配線と、ガラスエポキシ基板によるプリント配線の差も有るのだろう。オーディオの奥深さに、改めて恐れ入っているところである。

オリジナルのマランツ#7は多数出回っているが、50年以上昔に作られたアンプだから、当然劣化しており、劣化していないとしても、改造されていたり、修理の際にオリジナルと違うパーツに交換されていたりと、本当のオリジナルの音を保っているものは少ない。僕のマランツ#7は、中身はオリジナル無改造、外側は、ツマミをシャンペンゴールドの新品に、ノブは茶色マーブルの新品に交換し、一見すると古いアンプには見えない。マランツの普遍的なデザインは、現在のアンプにも踏襲されている。全くもって画期的なデザインと言えよう。ウッドケースは、多数流通している突板仕上げではなく、木の無垢で手塗りでニスを塗った味わい深いもの。電源スイッチのスライドスイッチだけが時代を感じさせるが、これは変更のしようが無い。これからどんなトラブルが待ち受けているかわからないが、愛着を持って使い続けようと思う。

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