2011年2月アーカイブ

 僕は、2005年以来、インターネット・プロバイダはIIJmioだった。日本のプロバイダの老舗、絶大な規模と信頼性を誇っていたのだが、ここに来て、ほころびが出てきた。

 DNSの不調なのか、私が開設している korngold.jp に、時々アクセスできなくなるのである。レンタルサーバー会社からは正常にアクセスできるとの事。数分で回復するのだが、ここに来て、頻度が増えてきて、不便を感じるようになってきた。

 そこで、思い切ってプロバイダを変更した。新しいプロバイダは秘密。今までのメールアドレスなどは、そのまま使えます。

 かねてから予約しておいたCDが届いた。丸一日かけて全部聴いた。ここでそれぞれの曲についてあれこれ書く気力も精神力も残っていない。ただ、二つだけ。

 1949年のブルックナー「第七」は初めて聴いたが、これは名演だ!「第八」は、ちょっとやり過ぎに思えるが。

 フルトヴェングラーは、1954年の最晩年に、新しい巨大なスタイルを確立している。R・シュトラウスしかり、「レ・プレリュード」しかり、「魔弾の射手」しかりである。返す返すも68歳での急逝が残念である。

 約一か月である。これで名目上は、普通の食事が摂れる事になる。ところが、そうは問屋が卸さない。胃を切って胃が小さくなったため、ろくに食事がのどを通らない。ご飯で、お茶碗半分が限界。それに納豆で満腹になる。あとの食事は、相変わらずヨーグルトなどの半固形物で栄養を取るしかない。

 まともな食事ができるのは、いつになるのだろうか。

 古今に名指揮者は多いが、カール・ベームほど、日本で生前に絶大な人気を誇りながら、死後に人気が急落した指揮者も珍しいのではないか。

 ここには、日本における、カール・ベームについての間違った認識が有る。日本では、ベームの全盛期は1960年代までで、1970年代に入って衰え始めたとされているが、ヨーロッパでは違う。ベームは1960年代までは一介の「職人」であり、1970年代に入って円熟し、巨匠としてのカリスマを手にしたとなっている事である。

 もう一度おさらいするが、ベームは決してスター指揮者ではない。典型的なたたき上げの「職人」である。並みの職人と違うところは、音楽の構造の要所を逃さず、内声や金管をデフォルメする事により、立体的で巨大な響きを作り出したことである。これについては、他のどんな指揮者にも追随を許さない。

 もう一つの誤解は、ベームはスタジオ録音では大人しく、ライヴでないと実力を発揮しないという説。これも間違い。ベームは別に燃える指揮者ではなく、音楽を積木細工のように構築するタイプであり、また、ベームの演奏にムラが有る事は、スタジオ録音、ライヴを問わず知られており、決してスタジオ録音だから悪いとは言えない点である。例えば、先日テレビで再放送された1975年来日公演のブラームスの交響曲第一番は、全くの期待はずれであった事(同じ番組で放送された「美しく青きドナウ」は名演であった)。また、FMで放送された1980年のザルツブルク音楽祭でのベートーヴェンの交響曲第二番と第七番は、いずれも世紀の名演と呼ぶにふさわしいものだったが、同年の来日公演の同じプログラムは全く冴えなかった事などが挙げられる。

 概して言える事は、ベームの演奏は、正攻法で質実剛健、重厚な構成を持ち、飾り気は無く、派手なパフォーマンスとは無縁であり、スター指揮者のような人気を博するような演奏ではないという事である。日本で人気が爆発したのは、「正統派」と称する評論家の賛辞に乗せられて、これこそ真のドイツ・オーストリア系の音楽だと訳も分からず思い込み、通ぶった知ったかぶりのファンが激増した事だと思われる。また、アンチ・カラヤンの心のよりどころになっていた面も有っただろう。でなければ、死後に人気が急落するはずが無い。

 さて、このベートーヴェン交響曲全集だが、1970年代に入って円熟したベームが、満を持して世に送り出したものであり、演奏は細部まで入念を極め、一部の隙もない。また、この頃はドイツ・グラモフォンのアナログ録音が最も冴えていた時期であり、ウィーン・フィル・サウンドを実に生々しく収録している。発売当初は僕は幼少時だが、絶賛されたと記憶している。

 ところが、いつしかこの全集の評価に陰りが出始める。それは、「スタジオ録音のベームはダメ」、「1970年代に入ってベームは衰えた」という間違った考えに基づいて、誰かが酷評した事から始まったものである。この評価は今も引きずっていて、この全集を最初に酷評した評論家を血祭りに上げたい気持ちである。

 僕は、ベートーヴェンの交響曲第二番に関する限り、ベームの右に出る演奏は無いという信念を持っており、全集CDが出た10年ほど前に、「田園」以外の分売は無いだろうと思い、買っておいた。これは正解であった。今は全集も入手不可能なのではないか。

 今日の午前中から夕方まで、CD6枚(交響曲9曲、序曲3曲)を聴いたが、全く退屈しなかった。本当に素晴らしい。ベームの芸術の、真の再評価を願ってやまない。

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 皆さんは、オズワルド・カバスタという指揮者をご存じだろうか。ほとんどの方は知らないだろう。戦前にドイツで活躍した指揮者で、フルトヴェングラーの次の世代を担っていた俊英である。

 かくいう僕も、カバスタの演奏は二つしか知らない。一つは大昔にNHK-FMの「知られざる名演奏家」という特集で放送されたシューベルトの交響曲第三番。もう一つは、ドヴォルザークの「新世界」である。

 いずれも名演で、特に「新世界」は、フルトヴェングラーの演奏として発売され、多くの評論家や評論家追従の音楽ファンが騙されて、赤恥をかいた事は記憶に新しい。

 そのカバスタだが、戦時中にドイツで音楽活動を行ったため、戦後、演奏禁止処分を食らった。カラヤンが要領よく復帰、フルトヴェングラーは1947年に復帰、メンゲルベルクは1951年になっても処分が解けず、解除が検討され始めた矢先に死去。

 さて、カバスタはどうか。戦後処分を食らって間もなく死去となっているが、死因は自殺であった。残された録音があまりにも少ないため忘れられてしまっているが、もうスポットライトを浴びることは無いのだろうか。

 戦争は、多くの音楽家に悲劇をもたらしたが、カバスタは最も悲劇的であり、かつ、忘れ去られてしまった。もし生きていれば、カラヤンやベームと並び称される名指揮者になっていたことは間違いない。

 戦争が生んだ音楽界最大の悲劇の一つとして、語り継いでゆきたい。

 今回のEMIフルトヴェングラーSACDシリーズで、ブラ1は、1947年のSP復刻だろうと思い敬遠していたのだが、その後、1952年のライヴだとわかり、急いで購入した。

 ウィーン情緒たっぷりのハンガリー舞曲、ハイドン変奏曲に続き、流れてきたサウンドは、不滅の名演として名高い1952年2月10日のベルリン盤の二週間前の、ウィーン・フィルとのブラ1だった。初めて聴く音源である。

 二週間後のベルリン盤とは対照的な、優雅なブラ1。まろやかな管楽器、良く歌う弦。わずか二週間の差とは思えない趣の違うブラ1である。改めて、新鮮な感動を覚えた。

 カップリングのハンガリー舞曲、ハイドン変奏曲も素晴らしい。まだ買っていない人は、買うべし。

 MIDIでピアノ曲を作るのに、どんなピアノ音源を使うかによって、印象がまるで違ってくる。そこで、ピアノ音源を極めようと、IvoryⅡを購入した。

 無事にCubaseで認識した。あとはマニュアルを熟読する事にしよう。

 EHゴールド300Bで悦に入っていたら、ヴィンテージ・サウンドからゴールドライオン300Bが5組限定で入荷という案内メールが...5組限定という言葉に、矢も盾もたまらず購入し、今日到着。

 球を持つと、ずっしりとした重量感。分厚いガラスでいかにも頼もしそう。ロットナンバーや管の雰囲気で、製造はエレハモと同じ工場と思われる。エレハモの球の特別製といったところか。

 音だが、まだエージングが済んでいないので何とも言えないが、EHゴールドをさらにまろやかに、そしてマッシブな迫力を併せ持つオールマイティ球といった感じ。ロシア球ではこれ以上は望めないだろう。かつて、大枚はたいてWE球を買った事もあったが、全部ヤフオクで売ってしまった。今は言うまでもなく、値段が5倍以上のWE球の必要性は全く感じない。

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ゴールドライオン300B

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ゴールドライオン300BとEHゴールド6SN7

 真空管の話である。プリアンプには、虎の子の東芝球を差していたのだが、いくらなんでももったいない。というわけで、ロシア製上位球を購入した。

 エレクトロ・ハーモニクス(以下エレハモ)といえば、今まで安かろう悪かろうの代名詞だったのだが、それは、黒い箱の標準品の事(これは、昔、三栄のキットに付いてきたエレハモ300Bが劣悪な品質だったからで、ロシア球の品質向上は目覚ましく、現在は改善されているかもしれない)。金箱のエレハモゴールド(以下EHゴールド)は、エレハモの上位球で、これはモノが違う。それに、ロシア製の上位球は色々あるが、その中で最も安価。というわけで、EHゴールドの12AX7を3本買った。

 さて、音はどうか。ノイズレベルは十分低い。音も立派。というわけで、僕のアンプの球はすべてEHゴールドになった。東芝球や海外球を躍起になって買い集めていたころは何だったのか。どんな球が来るかもわからない流通球よりも、ヴィンテージ・サウンドで綿密に選別されたロシア球の方が余程いい。ロシア球でも高価なムラード、タングソルなどの復刻版も不要。EHゴールドで十分である。

 今まで12本のEHゴールド真空管を買ったが、今のところハズレは一本も無い。ロシア球の質の向上に、喜びを覚えているところである。

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 ベートーヴェンの奇数交響曲で気を良くし、結局偶数交響曲も買ってしまった。ベートーヴェンの交響曲全曲が揃ったわけだが、2番と8番を除き、いずれも同曲異盤中トップを争うものである。

 第二番は、これしか録音が残っていないから仕方がないのだが、初出時にはノイズの中からかすかに音が聴こえるという状態だったのが、デジタル技術で、辛うじて観賞に耐えるレベルにはなっている。しかし、観賞用というよりは研究用だろう。

 第八番は、ストックホルム・フィルとの共演だが、同曲にはベルリン・フィルやウィーン・フィルとの、もっと優れた演奏の録音が残っている。

 第四番は、ベルリン・フィルと共演した1943年盤も印象深いが、音質を考えると、やはりこれだろう。余裕を持ったテンポでメリハリを付けつつ堂々と歌い上げた名演である。

 フルトヴェングラーの「田園」を、「まるでお化けが出そうな田園で、私はこの演奏が嫌いです」と書いた評論家がいたが、勘違いも甚だしい。フルトヴェングラー独自の深い呼吸で、テンポは遅いが弛緩せず、全曲を崇高なまでに歌い上げた稀有の名演である。特にここでは、当時のウィーン・フィルのしたたるような弦と、まろやかな管楽器が印象的である。

 フルトヴェングラーでベートーヴェンを集中的に聴いて、やはりフルトヴェングラーは他の誰も及ばないベートーヴェン解釈者であることを再認識した。音質の向上もあり、聴きなれたベートーヴェンの交響曲で、ここまで感銘を受けるとは思っていなかった。

 病院から帰ってきたら、ステレオの左チャンネルから音が出ない。調べたところ、TRONAL300Bが昇天していた。保証期間も切れている。仕方なくトライオードの球(おそらく中国製)を差すと、やはりしょぼい音。やむをえず購入に踏み切った。

 WE球を買う金は無いので、ロシア球から物色。TRONALは恐いし高価なので、EHゴールドの300B中ゲインプレミアムグレードを購入して差してみた。

 エージングが進まないと何とも言えないが、今のところ澄み切った音で、とりあえず安堵である。

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EHゴールド300B

 入院前のベートーヴェンで気を良くし、ブラームスの交響曲2,3,4番とワーグナー名演集を買ってしまった。

 重厚、壮大、劇的、ロマンティックなブラームスとワーグナー。ブラームスでは、ドイツ魂ここにありといった趣で、2番ではドイツの壮大な自然が、3番は最晩年の完成度の高いライヴ(グラモフォン盤)も有るが、荒れ狂ったこの49年盤も凄い。4番は、他に類を見ないロマンティックかつ劇的な表現で、一楽章のアウフタクトからフルトヴェングラーの世界に引き込まれる。

 フルトヴェングラーのワーグナーについては、賛否両論あるようで、これは某評論家Uの影響によるものと思われるが、僕は肯定派。やはりドイツ魂ここに在りといったデモーニッシュな名演ぞろいで、ワーグナー好きのヒトラーが、フルトヴェングラーを国外に出さなかった理由がわかろうというものである。

 いずれにしても、本当に素晴らしかった。音質の向上も著しい。第二回発売が楽しみである。

 2011年1月24日、僕は、自治医科大学附属病院で、胃の部分切除手術を受け、今日退院して、無事に家に戻った。先生によると、手術は大成功、経過も順調そのものとの事で、一安心。以下、時系列。

1月21日 入院、部屋は個室B、落ち着いた部屋。夜になると、外ではクリスマス以来点いているというイルミネーションで、にぎやか。食事が出たが、まずくはないが、味が薄い。ある程度覚悟はしていたが、ここまで味が無いとは思わなかった。しかし、これにはすぐに慣れた。

1月23日 翌日の手術に向けて、午前にシャワーを浴びて体を清め、午後に下剤を飲んで体を空っぽに。晩御飯は抜き。午後9時以降は水も飲めない。

1月24日 手術着に着替え、12時30分に手術室入り。手術台に横たわると、とたんに周りが慌ただしくなり、あれよあれよという間に麻酔で気を失った。。。。。「時津さーん!」、「時津さーん!!」という声で目が覚めた。時計を見たら、19時30分だったと思うが、意識が朦朧としていたので正確には不明。再び眠り込み、この日は終了。

1月25日 午前3時、ICUで目が覚めた。腹が痛い。この痛みは尋常ではない。体を動かすことも、起き上がる事も出来ない。「痛いときは押すように」と言われていたボタンを押しまくり。午前6時に明かりがついた。気付くと、口には酸素マスク、胸には心電図、手には点滴の針、体には尿を排出する管、その他、お腹からも管が出ていて、赤い液体が出ている。

 とにかく痛い。痛み止めのボタンはすぐに効力が無くなり、体温は38度以上。物凄い耳鳴り。食事ができないので、水分と栄養は点滴で摂る。ストレッチャーに乗せられて、病室へ。やはり痛い。こんなに痛くては車の運転などできない。家に帰れないではないか。この痛みはいつまで続くのかと思うと、お先真っ暗な気分になった。

 この日と翌日は、痛みで一睡もできず、何も飲まず食わずで、尿は勝手に排出されるし、お腹は空だからトイレに行く必要もない。トイレに行くだけで看護師を呼ぶのも気が引ける。とにかく腹が痛くて動けないのだ。何も食べる気がしない。

手術後3日目 レントゲン検査で、胃に異常がないかチェック。問題なし。これで、水が飲めるようになった。ところが、検査の時に苦い液体を飲まされたのだが、これが下剤の作用が有るらしく、午後、悲惨...

手術後4日目 ささやかな食事が出るようになった(幼児用ジュース)。腹は相変わらず痛い。

手術後5日目 何となく、昨夜より腹の痛みが和らいでいる。これからは、一晩寝るごとに腹の痛みが引いて行った。

手術後一週間 腹の痛みが消えた。これで自力でトイレに行ける。というわけで、尿を排出する管を抜いてもらったのだが、これがとんでもなく痛かった。挿入する時は麻酔で眠っていたのだが、目覚めている時は絶対に挿入してほしくないな。希望が見えてきた。

2月1日 腹から出ていた管が抜けた。点滴も終了で針を抜いてもらい、これでもう自由に動ける。体温も平熱。

2月2日 抜糸、というより、今はホチキスのような道具で止めるようで、抜糸というより抜針。手続きを終えて退院。先生によると、「全て予定どうり順調すぎるくらい順調だった」との事。食事制限は続くが、一段落。

 痛みに耐えながらも、サッカーの日韓戦、決勝戦はテレビで見た。病院の消灯は9時で、看護師さんが巡回するのだが、苦笑いの黙認状態。

 この入院期間だけで、体重が8キロ減った。胃を切ったのだから、この勢いで、もっと痩せたい。

 手術当日および数日後に病院に駆けつけてくださり、差し入れも下さったT氏、ほぼ毎日、日によっては一日に何度も激励の電話をくれた親友のY君、ブログに励ましのコメントをくださった鶴さんに、心から感謝します。

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病室からの夜景

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病室から見た夕日

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