「夏」という季節は、レジャーもいいが、日本人にとって、戦争について考えるという厳粛な季節でもある。2度の原爆投下、終戦、靖国神社参拝問題など、未だに結論が出ていない問題も数多い。
僕の父は昭和8年生まれ。父方の祖父は当時海軍の偉い人。昭和8年生まれというのは複雑な年である。父は子供の頃から親や学校から大日本帝国軍事教育を受け、天皇陛下のために死ぬ事を至上の喜びとするという歪んだ価値観を植え付けられた。もちろん大東亜戦争は、アジア諸国を解放するための戦争であり、断じて日本は悪くないと叩き込まれていた。しかし、父の世代は教育を受けただけで、戦争中は疎開しており、実際に戦場に行ってはいない。戦前の日本を美化する教育に洗脳され、肝心の戦争の惨禍は知らないのである。
普通に成長した人なら、実際に戦争に行って帰ってきた人たちに、戦争の愚かさを教えられ、平和主義者になるのであるが。僕の父は、そのような過程を経ず、戦前教育に洗脳されたまま大人になってしまっていた。子供は親の言う事を信じるという本能が有るから、僕は父が話す戦争の話を子供の頃は信じていた。つまり、大東亜戦争はアジアを解放するための戦争であり、侵略戦争ではない。南京大虐殺は無かった、従軍慰安婦は作り話、つまり、中国や朝鮮の人が嘘をついている。日中戦争の事を支那事変と呼び、北朝鮮の事を北鮮(ほくせん)と呼ぶ、つまり敢えて蔑称を使う。神風で散った英霊は不滅。天皇陛下は神様であるというのである。
時を経て、僕に反抗期と思春期が訪れたころ、父の話に疑問が生じてきた。そこで、父より年上で実際に戦争に行った親戚や会社の人たちに、戦争について尋ねてみた。そこで出てきた話は、まさに悲惨の二文字。それまで信じていた父の話とは正反対のものであった。実際に罪の意識を持ちつつ「慰安」を経験した人、罪も無い人々を殺しまくった人、尊い戦友を多数失った人など、例外なく言える事は、それらの人々は、自分の過去を悔いていた。そして、心底から「戦争は良くない」、「二度と起こしてはならない」という結論に達した。
その後、反抗期も手伝って、僕は父と戦争について議論が絶えなかった。しかし父は考えを改めなかった。その頃から家族がおかしくなり始め、父は暴力や浮気など、男の悪行の限りを尽くすようになり、これは母が自殺するまで続いた。僕は、狼狽している父に、来る日も来る日も説得を続け、ようやく父は、自分の考えが誤っていた事を認めた。僕は今でも、父に過ちを認めさせた事は、本当に良かったのかと自問する事が有る。なぜなら、母の自殺から3年後に、父も自殺してしまったからである。遺書で父は自分の事を「未熟な老兵」と書いていた。父は最後まで、自分の事を軍人だと思っていたのである。
「夏」という季節は、全ての日本人にとって、決して忘れてはならない戦争の惨禍について考える季節である。今日、テレビのサッカー中継の後、米軍カメラマンで、原爆の生々しい惨禍を写して封印していた人の特集が放送されていた。実体験として戦争を知らない我々も、後世に戦争の愚かさ、悲惨さを伝えていかなければならない。もちろん身をもって戦争を経験した人は尚更である。戦前の夢物語に浮かれる愚かな年寄りを見るたびに、「これではいけない」と考えさせられる、日本の夏は、そんな季節である。
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